第7章 人間の道徳性
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1. 道徳性とは何か?
やっていいことといけないことの区別
人間として褒められることと褒められないこととの区別
内容の一つ一つは文化や時代によって異なる
道徳性といって、すべての文化や社会に共通して抽出できる本質と呼べるものはあるか 私はあると思う
自分の欲することを目指す行動が、他者の欲求や利益を妨げるとき、どのようにして自己制御するかということではないか
私達の脳が私達に「快」と感じさせるものは、たいていは、自己の適応度の増大につながること しかし、誰でも自己の適応度の最適化を図ろうとするので、ときには他者の適応度の増大を妨げることがある
道徳が問題になるのは、このような葛藤状況
2. 道徳性の至近要因
道徳的行動が起こる至近要因
道徳感情を感じること
対立する感情を抑えて、道徳感情の方を強く感じなくてはならない
最終的にそのような行動選択をさせるきっかけとなるものは、しつけや教育の効果なのかもしれない
褒められることが「快」、叱られることが「不快」
しかし、道徳的にふるまわず、自分の欲望を満たしたときも、一つの欲望が満たされるのでそれは「快」であるはず
道徳的行為は選択されるとき
道徳的な行為の「快」>自己の欲求の「快」
道徳的にふるまわなかったときの「不快」>欲求を満たせなかった「不快」
3. 道徳性の発達要因
道徳的行動の成立
2つの行動の間には対立があるということの理解
欲望に対して自己抑制が働かねばならない
心の理論
他人の心の状態を類推する脳の機能
乳幼児は、自分自身の感覚と知覚、そして自分自身の感情を状態を参照しながら、他者の視線の方向、他者の顔面表情などから、他者にも欲求があること、達成したいと欲する目的があることを知り、他者の心は、その視線や表情から類推できるということを徐々に理解していく
4, 5歳になれば、自分の欲求と他者の欲求とが異なる場合があることや、他者の思っていることが現実とは異なる場合もあることなど、色々な社会状況が理解できる
心の理論という脳の働きは、それぞれに特殊化した神経細胞もある
視線の方向の探知
顔面表情の読み取り
していいこと、いけないことを罰と報酬で学習することもできる
人間の子どもには、他者に心や欲求があるということを理解する基盤があるので、他の動物に比べて道徳的な行動が教えやすくなっているのではないかと思われる
共感と自己抑制の発達
それに対する自己抑制は、脳の前頭葉から大脳辺縁系に対して信号が送られていくことによって成立する 乳幼児のときから徐々に発達していくが、思春期になってもまだ全部は完成しないこともあることが知られている 自己の欲求を満たすことの「快」と、道徳的指示に従って自己抑制したときの「快」とで、後者の方を選択する感情はどのようにして発達するのか
後者は他人からの賞賛に起因するもの
道徳的行動が選択されるためには、「罪の意識」「恥」といったネガティブな感情が大事なのではないかと私は思っている
罪の意識
基本的には、他者を傷つけたことに対する後悔の感情
恥
自分はこうあるべきであるという一種の理想像に比べて、実際の自分がそうではないという思い
そして、そのような実際の自分が、自分にとって大切と思う人々から称賛されないという思い
罪の意識を感じるには、自分のふるまいによって傷つけられた相手の痛みが、自分の痛みとして感じられなければならない
心の理論の発達も含まれるが、それだけではまだ思いやり、共感の感情には行き着かない
自分がその他者の立場になったときのことを想像して、他者の喜びを自分の喜びとし、他者の痛みを自分の痛みとすることができなければならない
人間はたしかにそのような共感を得ることができる
他者理解は、自分を参照にして行うので、他者の状態を理解するには、自分が同じような状態にあったときのことを思い起こすことになる
ところが、共感の感情、思いやりの感情がどのように発達してくるのかについては、あまり研究がない
一切未満の赤ん坊が他の赤ん坊が鳴いているのを見ると自分も泣き出してしまうことがあるのはよく知られている
自分があるべき自己像を達成し、自分が大切だと思っている人々を喜ばせたいという気持ちはいつからどのようにして発達していくのか
まず、密接な愛着の感情の発達が基盤になっていると考えられる また、自意識、自己というものの認識も大事だろう
これらがどのようにして道徳感情となっていくのか、詳しいことは知らない
4. 道徳性の究極要因
具体的な道徳の一つ一つは、文化
しかし、道徳を導く基盤になっているもの、自己抑制、共感、他者理解などは、生物学的に進化してきた性質であると考えてもよいと私は思う これらはどんな人間にも普遍的に見られ、脳の機能として知られており、それだけが欠損していると思われる症例もある
個体の利益が他個体の利益と衝突し、何らかの調整を行わければならないという状況は、社会生活を営む動物には必ず生じるもの
「行為者には適応度上の損失がもたらされるが、その行動の受け手には適応度上の利益がもたらされるような行動」
血縁者同士は、遺伝子を共有している確率が高いので、血縁者同士の間で利他行動が進化することは、それほど困難ではない
しかし、道徳に関する問題の多くは非血縁者間
①半ば閉鎖的な集団で、互いが何度もつきあいを繰り返す状況にあるとき
②互いに個体識別が可能で記憶力があって
③受け手の利益が行う側の損失を上回る場合、互いに時間をおいて利他行動をやりとりすることが生じる
このとき重要なのは非協力者をどうやって排除するか
互恵的利他行動が進化するには、非協力者を検知し、そういう個体に対しては利他行動をしないことが必要
記憶力と個体識別能力が重要
その後、非血縁者間における協力行動が進化できるかどうかの分析は囚人のジレンマの状況設定のもとで研究されてきた このゲーム状況においても、同一個体間で繰り返し交渉が起こるときには、協力行動が進化することがわかった
付き合いが一回限りでは、双方が非協力を選択することが最適戦略となり、協力行動の進化の余地はない
関係が何度も繰り返されるようになると、しっぺ返し戦略が集団中に広まり、それによって協力行動が進化することがわかった 人間は互恵的利他行動が進化しても当然
人間の社会的な感情は互恵的利他行動で双方が協力を選択するように仕向ける原動力となっているようにも思われる
しかし、私は、人間の行動を考えるうえでは、あまり互恵的利他行動に重点を置きすぎてはいけないと思っている
なぜなら、私達は、互恵的利他行動の進化の理論で仮定されているように、将来にお返しがあることを期待して道徳的にふるまっているのではないことが多いから
私達は二度と付き合うことのないような他人に対しても道徳的にふるまい、会ったこともない他人に対して慈善を行ったりもする
見返りを期待することのできない、死ぬ間際の友人に対しても、以前と変わらぬ友情を注ぎ続ける
これらの行為は、互恵的利他行動という機能では説明できないだろう
人間が社会的な動物であり、社会生活において互恵的利他行動が重要であり、それが道徳の進化の基盤の一つにあることは確かだと思う
人間の道徳性の機能を考えるうえで、それだけでは不十分であるというのが私の考え
5. 道徳性の系統進化
ホッブスに代表されるような西欧の哲学者たちの多くは、自然界は血塗られた競争に満ちており、人間も放っておけば、互いに相手を殺し合ったり騙し合ったりする状態に陥ると考えていた 道徳は人間が理性によって考え出し、教育によって人間に押し付けるものであるということになる
道徳の混乱を避けるためには、社会全体を統率する政府が必要であるということになる
前半は生物学的には誤り
競争がつねに血塗られた闘争を導くわけではない
利他行動は自然状態で進化し得る
このグループのほとんどは、恒常的な群れを作って暮らしている
哺乳類は全体的にみるとほとんど単独制
霊長類の群れは、単にいろいろな個体が同じ場所にいるだけではなく、構成メンバーが比較的安定して長く一緒に暮らし、メンバー同士互いに個体識別しており、内部で複雑な社会関係が営まれている
各群れはなわばりを持ち、近隣の群れと様々な緊張関係にある
このように、通念的に安定したメンバーで暮らし、内部に構造を持った群れを作る動物はあまり多くない
このような恒常的な群れで生活する動物は、単独でいるよりも、相互交渉を持つことの方を好む
観察していると、小競り合いもあるが、最も顕著なのは各個体が誰かと並んで互いに毛づくろいをしあう サルの仲間もチンパンジーも、しばしば喧嘩や小競り合いをするが、喧嘩した後は、なんらかの仲直り行動を見せる 挨拶行動をしたり、毛づくろいをしたり、社会関係の修復にかなりの時間をかける
同じ社会の中で滞りなく一緒に暮らしていくことが、非常に重要なことだから
社会生活を基本とするならば、他社に対してある程度の信頼と親愛の情を基本に持っていなければならない
わたしたちはそのような動物を祖先に持っている
この傾向は、霊長類の祖先から受け継いだものであると考えて構わないだろう 他者の心を類推し、他者が何を欲しているのかを理解して自分の行動を選択しているようだ
チンパンジーには心の理論が萌芽的にせよ、ある
チンパンジーは共感の感情を持つか
彼の観察していたチンパンジーたちは、苦痛を感じている他個体に対して、やさしく愛撫するような行動を見せることがよくある
近縁な霊長類研究から、道徳性のもとにある「社会性」「他者理解」「共感」などは、恒常的な群れ生活をして脳が発達した霊長類において、少しずつ培われてきたものであることがわかる
これだけで道徳があるとはとても言えないが、道徳性を生み出す基盤となる感情のいくつかは、霊長類の祖先から受けついだものであるといってよいだろう
道徳性には自省の力が必要であり、自己抑制が必要だが、そのためには自己という認識がしっかりとしていなければならない
また、行為や規範を一般化して抽象化したレベルでとらえねばならない
チンパンジーには確かに自己の意識はあるが、人間のようなレベルでの抽象化の能力がないので、人間が持っているようなレベルでの自己認識はないと思われる
チンパンジーの脳は平均して350グラムほどだが、人間の脳は平均して1350グラムはある
自己認識のレベルや抽象化のレベルの違いが含まれているに違いない